中日语言中关于意志表达的比较思考

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论文字数:**** 论文编号:lw20237873 日期:2023-07-16 来源:论文网
本文是一篇日本留学论文,本论文使用语料库、电视剧、小说、记者见面会等收集的实例,从两个方面来考察中日两国语言中“意志表现”的语言现象,从意志的实现可能性和意志的场面上的独立性,来考察各种形式的区别使用。结果发现,从意志的实现可能性来看,日语的用法被更加明确地区分使用,从意志的独立性来看,中文的用法被更加明确地区分使用。此外,还明确了独立形的意志一定能实现这两个侧面之间的关联性。


一、先行研究

1.日本語の意志表現に関する先行研究
日本語学では、意志を表す文に関する研究が既に多く行われてきた。この節では、本論文の考察に関係するものを取り上げ、紹介する。 仁田(1991)は、一人称主体の「~しよう」を述語にする文を「意志」の文と呼び、森山(1990)は談話の内部(その場)での意志形成・決定の場合で、相手もその形成に参与する場合には「~しよう」、談話に関係なく意志を通告する場合には「~するつもりだ」、談話の内部で形成された意志であっても、すでに決定済みのこととして表す場合には「~する」を用いるとしている。それに、「~する」の機能について、安達(2002)では次のように述べている。
その機能としては、発話現場における宣言という伝達態度を表す<意志の宣言>、心内において意志の実行を確認することを表す<決意の確認>がある。
それに、益岡(1991)は「~しよう」を話し手の意志のみを、現在に限って表すことができる一次的モダリティ、「~するつもりだ」などの形式を、話し手、第三者のどちらの意志、更に過去の意志をも表すことがる二次的モダリティと位置づけることができるとしている。さらに、「~する」による意志の特徴として、益岡(2002)では、発話時に形成された意志(「決意」と呼ぶ)と発話時以前に既に固まっている意志(「既定の意志」と呼ぶ)の二つがあるとしている。
次は、宮崎(2009)は、意志表現を大きく「意志の形成」にかかわるものと「意志の通達」にかかわるものに分け、前者の形式には「~しよう」「~してみせる」などがあり、後者の形式には「~する」「~するつもりだ」などがあり、独話に使用できるのは前者だけであるとする。また、前者(意志の形成にかかわる形式)は、その行為を意志的に実現可能か意志的に実現できないかによって、「決意」と「誓い」に分ける。「~しよう」は決意を表す形式であり、「~してみせる」は誓いを表す形式の代表である(その他、「~するぞ」「~してやる」のように両者に使用される形式もある)。
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2.中国語の意志表現に関する先行研究
意志」という概念は中国語学にはあるが、日本語学での「意志」の意味と異なる。斎(2002)のまとめたものには、現代中国語の「語気」系統の下位分類の一つとして「意志語気」があり、「可能語気(かもしれない)」「能願語気(できる)」「許可語気(してもいい)」と「料悟語気(やはり)」が含まれていることから見れば、日本語学の意志とは同じ漢字を用いているがほぼ異なる概念である。それに、「意志語気」を話し手の心的態度や感情と定義していることから見れば、日本語学の「モダリティ」の定義とかなり近い。
用語の意味は異なるが、意志表現の形式である「動詞+吧」、「動詞(の無標形式)」、「動詞+了」などを対象とする研究など、特に「語気詞」(「吧」「了」など)についての研究が多く行われてきた。例えば、「吧」について、賀(1992)は「非確信」を表し、「吧」を伴っていない文は「確信」を表すとしている。また、木村・森山(1991)は「〈判定の保留〉もしくは〈判定の回避〉」、胡明揚(1981)は「肯定保留」、胡裕樹(1962)は「半信半疑」を表すとしている。陸(1984)では、「吧」が「疑問語気詞と非疑問語気詞の中間」にある「疑と信の中間の語気」を表すとし、「吧」を「中間状態」の語気詞、「半分」の疑問語気詞と捉えている。それ以外に、語気詞「了」に関する研究も多く行われている。「了」はもとより意志表現の用法以外に、過去、変化などのようなさまざま機能を持っていることが王(1991)、呂(1983)などが明らかにしている。さらに、「会」についての意志表現用法については、孫(2018)が「意志の形成するきっかけが聞き手である」「聞き手に行為の実行や事態の実現を約束する発話の機能を持つ」「行為の実行や事態の実現を未来のある場面に預け、曖昧な意志表現となる」という特徴があるとしている。
すなわち、中国語の研究では、意志を対象とし、使い分けを考察するものは少なく、(意志表現の)個別の形式を対象とし、用法や機能などを考察するものがある。
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二、意志実現可能性の対照

1.意志の実現可能性
まず実現可能性と意志の関係を説明したいと思う。 意志は一人称の未来に実行する動作である(日本語学大辞典 2018)。奥田(1984)は、人は今の世界が自分を完全に満足しないため、動作(一人か集団)によって世界を望ましく変化させるとし、以下の図で示すことができる。


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意志表現においては、話し手が動作の実現可能性を判断する。聞き手にとって、話し手(動作主)の動作に関する可能性を把握できないため、話し手の判断に任せるが、話し手以外の動作に関する要素の場合、話し手からの判断を任せられないと考えられるので、実現可能を動作の実行のみで結果が含まれていない(食べる、見るなど)と、実現困難を動作の実行以外に結果が含まれている(合格する、間に合わせる、犯人を捕まえるなど)と規定する。
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2.日本語の使い分け
宮崎(2009)は、「~しよう」が実現可能、「~してみせる」が実現困難、「してやる」「するぞ」は両方の動作を意志として表せるとしている。つまり、意志の実現可能性によって、日本語には実現可能・困難な動作を表す専属形式と両方を表せる非専属形式が存在している。
2.1 日本語の実現可能形式
実例で実現可能な動作を表せる形式をまとめたいと思う。
(5)「~する」 (聞き手)「米沢さん、携帯電話ですね。おや、履歴がありませんね」 (話し手)「本人か誰かが消したんでしょうか」 (聞き手)「送受信記録お願いします」 (話し手)「わかりました。取り寄せます」
例(5)は聞き手2が話し手に送受信記録を調べるように頼み、話し手が「~する」を用い、「(記録資料を)取り寄せる」という意志を聞き手に表す文である。「取り寄せる」は結果が含まれていないため、本論文の規定によって実現可能な動作である
(6)「~するね」 「神戸君、彼から目を離さないでください」 「わかりました。今、伊藤が店を出ます。切りますね」 [相棒 9]
例(6)は聞き手が話し手に電話で対話をし、話し手に命令し、話し手がその命令に返事し、電話を切る前に「~するね」を用い、聞き手に「(電話を)切る」という意志を表す文である。「(電話を)切る」は結果が含まれていないため、本論文の規定によって実現可能な動作である。
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三、意志の場面における独立性の対照………………………………23
1 意志の場面における独立性……………………………23
2 日本語の使い分け………………………………25
おわりに………………………39

三、意志の場面における独立性の対照

1.意志の場面における独立性
意志表現とは、話し手が意志を文によって聞き手に伝えることである。本論文は対話における意志を対象とする。意志を表すのには場面があり、それについて少し見てみよう。例(6)をもう一度挙げる。
(6)「~するね」 「神戸君、彼から目を離さないでください」 「わかりました。今、伊藤が店を出ます。切りますね」 [相棒 9]
例(6)は、話し手が他の話(聞き手から「彼から目を離さないように」と命令され返事をする)から独立し、直接に「(電話を)切る」という意志を表す文である。
(26)「~動詞+了」 我拿起锄头走出去,走到门口我对家珍说:“我下地了,领凤霞的人来了,让他带走就是,别来见我。”
私(話し手)は鍬を持って出て、玄関で家珍(聞き手)に「俺は畑に行ってくる。鳳霞を迎いに来る人が来たら連れて行かせていい。私に合わせないで」と言った。
例(26)は、話し手が対話自体もない場面で「畑に行く(行ってくる)」という意志を表す文である。このような場面での意志表現の日本語の例をも見てみよう。


日本留学论文参考

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おわりに


日本語学では、「意志」という言語現象を「意志の形成・通達」の側面からはじめ、様々な使い分けに関する考察が行われてきた。それに対し、中国語学では「意志」を対象とする研究が少ない。中日両言語において共に存在している「意志」の表現に関する共通点や相違点を考察する必要があると考えられる。日本語学では、すでに意志の実現可能性から日本語の意志形式の使い分けを考察しており、中日両言語の意志表現における対照研究は、ほとんど作例を用い、両言語における使い分けの規準および対応関係について考察している。共通性や相違点については完全に明らかにしているとは言えない。本論文は意志の実現可能性から「~する」「~するね」の用法を補充した。意志の実現可能性から見る中国語の意志形式の使い分けや、意志の場面における独立性から中日両言語の意志形式の使い分けに対する考察が本論文の主な解決しようとする問題である。
本論文はコーパスやドラマ、小説、記者会見などから採集した実例を用い、中日両言語にある「意志表現」という言語現象について、意志の実現可能性と意志の場面における独立性の二つの側面から、諸形式の使い分けを考察してみた。結果として、意志の実現可能性から見れば、日本語の方がより明確に使い分けられ、意志の独立性から見れば、中国語の方がより明確に使い分けられていることが分かった。その上に、独立形の意志は必ず実現可能であるという二つの側面の間の関連性も明らかにした。
しかし、残っている問題もある。まずは、研究対象において、対話以外に、独話における意志も、また、他人の意志と過去における意志を研究対象とする必要がある。さらに、本論文の取り上げている意志の実現可能性と意志の場面における独立性は決して意志に関するすべての側面ではない。それ以外の有効的な側面からの意志表現の使い分けについての考察、また、意志表現以外に、勧誘、命令などのモダリティーについても、中日両言語以外に、類型論的に考え、言語の普遍性からの考察も必要である。
参考文献(略)

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