1 序論
1.1 研究背景
「明示化」(explicitation)とは訳出過程において、言語体系の相違や読者の社会・文化知識の相違を補いながら、読者にとって分かりやすさを工夫しようとして円滑なコミュニケーションという最終的な目標のために、あるいは無意識的に活用されるストラテジーである(グエン・ヴァン・ティ・ミン 2014:19)[1]。これまでの研究では、言語の意味や文の構成要素の「明示化」に注目しているが、言語のメタ機能について十分検討されていない。下記の例を見てみよう。
(1)甲:你好像有点不满意我,是吗?
乙:我,我说不出来。
訳文:甲:お前は、なにか、わしに不満でもありそうじゃが、どうなのかね? 乙:ぼ、ぼく、言えないのです。(村上 1999:28)[2]
例(1)が示すように、中国語の人称代名詞“你”、“我”は、話し手、聞き手及び第三者に識別する働きが主であり、上述の対話を見るだけでは、会話の登場人物の人間関係が判別できない。一方、日本語訳では、人称代名詞の「お前」「わし」「ぼく」によって会話の双方の人間関係などが「明示化」されることとなる。「わし」は 50 代以上の男性を指しており、「お前」は目下の者に対して尊大な感じを伴って用いる語であり、そして、「僕」は子供や学生など若い男性が自分を指している語である(小森 2008)[3]。このように、日本語訳における人称代名詞の使い分けにより、会話双方の年齢・地位の違いが「明示化」されることになる。
このような人称代名詞の「明示化」現象は、選択体系機能文法(systemic functional linguistics)からみれば、言語システムの 3 つのメタ機能、すなわち、「観念構成的メタ機能」(ideational)、「対人的メタ機能」(interpersonal)及び「テクスト形成的メタ機能」(textual)に関わっている。翻訳過程において、人称代名詞に潜んでいる人間関係などの情報が明示化され、そのメタ機能が果たされている。
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1.2 研究目的
本研究では、『阿 Q 正伝』及び 2 つの日本語訳本を取り上げ、人称代名詞のメタ機能はいかに「明示化」されているかを分析し、訳本間の「明示化ストラテジー」の相違は、阿 Q イメージの再現にいかに関与しているかを考察する。
具体的に、以下の 2 つの研究課題がある。
(1)中日翻訳において、人称代名詞のメタ機能の「明示化」はどのような傾向が見られるか。
(2)訳者の「明示化ストラテジー」は主人公阿 Q のイメージ再現にいかに関与しているか。
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2 先行研究
2.1 人称代名詞に関する研究
2.1.1 人称代名詞の定義と分類
人称代名詞(personal pronoun)は発話場面の「場面内指示的座標」(deictic co-ordinates)に照らしてその意味が述べられる言語要素の典型的な例の一つである(山田 1993:43)[5]。一般的には第一人称(話し手が題目として自分に言及する時に用いる自称のこと)、第二人称(聞き手に言及する時に用いる対称のこと)、第三人称(話し手、聞き手以外の人物または物に言及する時に用いる他称のこと)に分けられる。
人称代名詞の分類について、村上(1999)[2]や山田(1993)[5]などの学者が数多くあげられる。現代中国語と日本語における人称代名詞の最も一般的な形式を次のように表している。
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表 2.1 が示すように、現代中国語の人称代名詞の数はあまり多くない。第一人称“我”、第二人称“你”、第三人称“他”の 3 語が基本で、複数は大体単数の後ろにそれぞれ“们”を付ける。一方、現代日本語においては人称代名詞とされるものの数は中国語の倍以上もある。日本語の人称代名詞は、時と場合によって使い分けるため、表 2.1から見ると、単数の第一人称が 3 種類、第二人称が 3 種類、第三人称が 2 種類、不定称が3種類となっている。日本語の人称代名詞の複数形は大体単数形の後ろに「がた」「たち」「ら」などを付けて作るが、ここではいちいち列挙しない。なお、本研究では人称代名詞と「こ、そ、あ」の指示詞を区別し、「こ、そ、あ」系を研究の対象外とする。
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2.2 「明示化ストラテジー」に関する研究
2.2.1 「明示化」の定義と分類
明示化について最初に体系的な研究を行ったのは、Blum-Kulka(1986)[14]である。Blum-Kulka(1986:62)[14]では、「翻訳のプロセスを通して、訳文は原文より冗長になる傾向があり、その原因は原文より訳文のほうが結束性において明示的であることに由来する」という「明示化の仮説(explicitation hypothesis)」を提唱している。この明示化現象は、テクストの構造や言語の組み合わせに関係なく、翻訳プロセスに内在されているものであるという。Baker(1993:243)[15]は、明示化の仮説に賛同し、明示化が普遍的な特徴の一つとして、翻訳テクストに存在すると認めている。そして、明示化とは「原文に潜んでいる情報を、訳文に表出する過程であり、その情報はコンテクスト及び場面状況から得られるものである」という概念も提出された(Vinay & Darbelnet 1997:516)[16]。
明示化の分類をめぐり、様々な研究と議論が展開されているが、まだ定着されていない。Klaudy(1998:81)[17]は明示化を義務的明示化(obligatory explicitation)、任意的明示化(optional explicitation)、語用論的明示化(pragmatic explicitation)、翻訳・通訳に内在する明示化(Translation-inherent explicitation)という 4 種類を提示した。一方、Pym(2005)[18]は、義務的明示化と任意的明示化との 2 種類だけに分類した。また、言語間の通訳・翻訳に見られる明示化現象を考察し、その下位分類を試みた研究も見られる。花岡(1999)[19]は日本語-英語の通訳における明示化現象を取り上げ、明示化を説明的情報の追加、省略されている情報の明示、より明確な指示という 3 つのカテゴリーに分類した。柯飛(2005:306)[20]は「明示化は、狭義的に言葉の接続形式の変化を指すだけではなく、意味の明示的な転換も含むべきである」と主張している。
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3 研究の概要 ........................................... 10
3.1 資料の選択 .............................................. 10
3.2 コーパスの構築 ........................................... 11
3.3 研究方法と分析の流れ ........................... 11
4 データの分析 ............................... 14
4.1 観念構成的メタ機能の「明示化」 .............................. 15
4.2 対人的メタ機能の「明示化」 ............................................. 18
4.3 テクスト形成的メタ機能の「明示化」 ........................... 23
5 考察 ..................................... 28
5.1 翻訳スタイルによる差異 ................................... 28
5.2 『阿 Q 正伝』の身分制度 .................................... 30
5 考察
5.1 翻訳スタイルによる差異
翻 訳 に は 、 帰 化 ( domestication ) と 異 化 ( foreignization ) の 両 面 が あ る(Venuti1995:20)[35]。日本人は一世紀に及ぶ「魯迅読みの伝統」を築いてきたが、これまでの魯迅の日本語訳は総じて domestication(帰化)であり、その最たるものが竹内好の翻訳である(藤井 2009)[36]。その理由は竹内氏が大胆な意訳と分節化した翻訳文体により、魯迅文学を戦後日本社会に土着化させるのである。一方、増田渉は魯迅から『吶喊』および『彷徨』に関する一対一の個人指導を受けたことがある。その際に用いた『吶喊』『彷徨』2 冊の本には、二人が日本語で対話した際に書き込まれたメモが残されており、作品読解の上で大変貴重なものであると言える。林敏潔(2013)[37]は竹内と増田の訳本を比較した時、竹内好は“恶心”を「敵意」に訳しているのに対し、増田渉は「嘔吐気」に訳していることに気づき、増田渉直筆の注釈本を検索したところ、“恶心”に魯迅が「謳吐気」という注釈を付しており、増田訳がより原作者の意図を尊重することが検証してきた。
本研究の考察対象である人称代名詞についても、両訳者では異なる翻訳スタイルが見られた。
例(17)を観察すれば、増田訳は原文と同じ、1 つの長文で阿 Q の考えを表明したが、竹内訳はこの 1 つの長文を 2 つの単文と 1 つの複文に分節化し、明快な文章に変換している。この点について、藤井(2009:332)[36]は「伝統と近代のはざまで苦しんできた魯迅の屈折した文体を、竹内氏は戦後の民主化を経て高度経済成長を歩む日本人の好みに合うように、土着化・日本化させているのではないでしょうか。」と分析している。しかし、文の分節化により、文と文の間の結束性も弱くなるため、竹内が最後の部分で阿 Q を指す「彼」を補足し、帰化の翻訳ストラテジーを取ったことで、日本人読者の読みやすさに工夫していると見られる。
(17)原文:阿 Q 又很自尊,所有未庄的居民,全不在他的眼神里,甚而至于对于两位“文童”也有以为不值一笑的神情。
竹内訳:阿 Q はまた、自尊心が強かった。未荘の住民どもは、ひとりとして彼の眼中になかった。はなはだしきは、ふたりの「文童」にたいしてさえ、彼は歯牙にかけぬ風のところがあった。
增田訳:阿 Q はまた大へん自尊心がつよく、あらゆる未荘の住民たちは、まるで彼の眼中になく、甚しきに至っては二人の「文童」に対してすら一笑にも値しないとする気持ちをもっていた。
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6 結論
本研究では、人称代名詞の「明示化」を対象とし、中国語小説『阿 Q 正伝』及び 2つの日本語訳本を取り上げ、人称代名詞のメタ機能はいかに「明示化」されているかを分析し、訳本間の「明示化ストラテジー」の相違は、阿 Q イメージの再現にいかに関与しているかを考察してきた。
本研究で得られた結果をまとめると、以下のとおりである。
(1)「メタ機能」の明示化により、原文に潜んでいる情報が明らかになり、日本語の訳文がより分かりやすくなる。『阿 Q 正伝』の両訳本において、人称代名詞のメタ機能の「明示化」傾向が現れているが、3 つのメタ機能のうち、「対人的メタ機能」が最も明示化されやすいメタ機能である。なお、増田訳では「対人的メタ機能」の明示化だけが顕著に現れたが、竹内訳では「対人的メタ機能」と「観念構成的メタ機能」との 2 種の明示化傾向がより見られた。
(2)3 つのメタ機能を比較した結果、竹内訳では、第三人称代名詞の補足により、「観念構成的メタ機能」の「明示化」傾向が強くみえる。また、“伊”などを具体的な指示対象(例えば、呉媽や尼)に訳すことにより、「テクスト形成的メタ機能」の「明示化」傾向が増田訳より少し強く現れた。一方、増田訳では日本語原作の人称代名詞の表現形式をそのままに保留し、かつ異なる人称代名詞を活用することにより、「対人的メタ機能」の「明示化」がより目立つこととなる。
(3)阿 Q イメージの再現については、竹内訳では、「観念構成的メタ機能」から、被動作者がなく、マイナス文脈における動作主である阿 Q の「明示化」と、そして「対人的メタ機能」から、<田舎言葉>である自称詞「おいら」や人を見下す場合で使われる対称詞「きさま」などの人称代名詞の使用で、特に阿 Q の「身分の低さ」を再現している。一方、増田訳では、「対人的メタ機能」から、「お前さん」や「あなた」など、被害者が発する人称代名詞を調整することにより、加害者である阿 Q の「弱者いじめ」のイメージを再現している
参考文献(略)