1 序論
1.1 実験背景
日本語教育における翻訳指導では、辞書はどのような位置づけがなされいるであろうか。新版日本語教育事典(2005:3)[1]には、「学習者にとって語彙の学習に辞書は欠かせない」とあるが、翻訳することと辞書との関係は記述されていない。日本語教育の分野では学習者のための辞書編集を目的とした研究が多い(井上優・有賀千佳子 2006)[2]が、翻訳指導の観点から辞書を取り上げた研究はまだ数少ない(鈴木智美 2014;鈴木智美・高野愛子 2015)[3-4]。
全国翻訳専門資格試験(以下,CATTI)とは、中国で実施されている国家レベルの職業資格試験で、国内で最も権威のある翻訳専門職資格認証(審査・認定・登録)制度である。CATTI には、「翻訳総合能力」と「翻訳実務」の 2 科目があり、その中「翻訳実務試験」は受験生が紙の辞書 2 冊(日中、中日の各 1 冊)を持って試験を受けることができると規定されている。同等の語彙力を持っている場合、辞書の情報利用能力の強弱は成績に大きな役割を果たす(王果 2014)[5]というが、翻訳の作業において、辞書使用行動と訳文の「質」の関連性はまだ明らかにされていない。そして、起点言語(Source Language)と目標言語(Target Language)の語源により、辞書使用行動のパータンはどう変わるかも検討されていない。
それで、本実験報告書では、翻訳プロセスにおいて「辞書」をリソ一スとして明確に位置付け、「辞書使用」を前提とした日本語学習者向けの翻訳指導方法を模索していきたいと考える。
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1.2 実験目的
本実験報告では、辞書使用行動に関する実験に基づき、CATTI 試験における辞書使用の行動と訳文の「質」の関連性を明らかにすることを目的とする。日常の翻訳実践における教師の指導も一助になると思われる。
具体的に、以下の二つの研究課題がある。
(1)辞書使用の有無(実験組 VS 対照組)は訳文の「質」とどのような関連性を持つか。
(2)辞書使用行動は、起点言語と目標言語の語源(中→日 VS 日→中)により、どのような差異が見られるか。
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2 先行研究
2.1 辞書使用に関する研究
辞書使用行動については、辞書の「使用回数」「使用目的」と「使用効果」の実態をめぐり調査されることが多い。
1. 使用回数
辞書学の研究では、辞書の参照回数を分析する際に Atkins & Varantola(1997, 1998)[6-7]が Look・up(参照)、つまり、1 冊の辞書で 1 つの項目を 1 回参照するという概念を用いている。新たに別の見出し語を参照し始めるごとに、新しい「参照」が始まる。誤って分節した場合や、実際には存在しない語についても 1 回と数える。また、電子辞書に関しては、「新しい辞書に飛ぶ(ジャンプ機能)文字を入力する」、「候補に戻る」などを新しい「参照」の分かれ目と判断する。入カミスについては、すぐに気付き、入力し直した場合は独立した「参照」には換算しないという。
本実験では、この概念を応用し、辞書参照の回数を割り出し、すべての参照回数の合計は「使用総回数」とする。
2. 使用目的
翻訳プロセスにおける辞書使用の目的については、山西博之(2005)[8]、高邑真弓(2006)[9]、周海明(2012)[10]、田中信之(2015)[11]などでは、それぞれ異なる下位分類を試みたが、表 2.1 にまとめた。
なお、上述した研究は、言語の種類が異なるが、言語学習者が母語(input)から非母語(output)、または、非母語(input)から母語(output)への一方的な産出過程に目をむけているが、翻訳のプロセスにおいて、両者の関連性については、限見の限り、まだ調査されていない。
この 4 氏の分類の中で、田中信之(2015)[11] の分類方法は比較的に全面的で、本実験に適している。そして、本実験報告書では、辞書使用の目的については、田中信之(2015)[11]の分類を採用しつつ、考案していく。
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2.2 翻訳プロセスにおける認知負荷に関する研究
本実験報告書では、翻訳の訳出プロセスを、認知負荷の観点から分析する。ワーキングメモリに負荷を与える認知資源のことを、認知負荷(Cognitive Load)と呼ぶ(Sweller 1988)[13]。ここでは、原文理解から訳文産出の過程、そして、翻訳作業のフェーズについて、先行研究をまとめていく。
1. 原文理解から訳文産出までの過程
Dragsted & Hansen(2008)[14]の実験によると、翻訳においては、翻訳者がテキストを目で追う中で、(翻訳範囲となる)句や節(翻訳単位)ごとにポーズが置かれ、その後で訳文のキーボード入力を行うという。翻訳単位を読んだ後に少し間があり、その後で対応する部分の訳を入力していく。つまり、視線が置かれた翻訳単位の訳文を打ち込むのである。ポーズは「原文理解から訳文産出への移行」プロセスの経過時間になるが、実験の論文では、原文の理解と訳文の産出は独立していて、ポーズを挟んで順次起こると考えられている。つまり、ワーキング・メモリー(作業記憶)はまず原文の解析/理解に集中され、ポーズ後に訳文の産出に集中されるという。
しかし、原文の理解と訳文の産出はそれほど明確に独立した時間の推移で起こるものでない可能性もある。もちろん、翻訳では「一通り翻訳対象のテキストを読んで、内容や背景を理解している」という点で同時通訳とは根本的に違うほか、同時通訳のように原発話の数秒後から訳出と解析/理解プロセスが並行的に重なる訳ではないが、翻訳作業においても、前の翻訳単位の訳文の産出プロセスと次の翻訳単位の解析/理解プロセスが、ある程度のタイムラグの後に並行的に行われるような多重処理の局面があると考えられる。特に、句や節といった短い翻訳単位ごとに翻訳するスタイルの場合には、キーボード入力作業開始段階で既に翻訳表現が脳中にできており、キーボード入力を行っている最中に「次の翻訳単位の読み込みが開始されている」可能性が排除できない。訳文の産出と原文の解析/理解の作業がそのように多重的に進行することは、認知負荷を高めることになりかねないが、プロの翻訳者には、そうした作業スタイルにあまり負担を感じない人も少なくない。
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3.1 調査協力者 ............................. 8
3.2 資料の選択 .............................................. 8
3.3 辞書使用行動に関わる指標 ........................ 9
4 本調査の結果 ................................... 15
4.1 使用回数 ....................................... 15
4.2 使用目的 .................................. 16
4.3 使用効果 ................................ 17
5 考察 ........................................... 21
5.1 翻訳作業のフェーズ ......................................... 21
5.2 辞書使用時間 ............................ 23
5 考察
5.1 翻訳作業のフェーズ
J⇒C と C⇒J の 2 つの翻訳プロセスにおいて、辞書使用行動は、訳文の「質」に異なる影響を与えたと検討された。具体的にいえば、J⇒C の場合は、辞書使用行動は訳文の「質」との間では有意関係は見られず、辞書を使用することにより、訳文の「質」の向上につながっていると言い難いこととなる。そして、C⇒J の場合は、辞書の使用回数の増加につれ、訳文の得点が高くなる傾向が見られ、辞書使用行動は訳文の「質」を効果的に向上させることが分かった。ここでは、フォローアップインタビューで得られた文字化データを踏まえ、その要因を探ってみる。
翻訳プロセスにおいて、翻訳者のポーズは「原文理解から訳文産出への移行」プロセスの経過時間になるが、翻訳が行われる際、原文の理解と訳文の産出という二つの作業は、独立していて、ポーズを挟んで順次起こると考えられている。つまり、ワーキング・メモリー(作業記憶)はまず原文の解析/理解に集中され、ポーズ後に訳文の産出に集中されるという。
本調査では、J⇒C のプロセスにおいては、起点言語は日本語(非母語)で、目標言語は中国語(母語)であるため、翻訳の難点が主に原文への理解に現れていると考える。原文理解がフェーズとなり、翻訳者の認知負荷がより高く、費やした時間もより多くなる。そこで、J⇒C の場合、訳文の産出に比べて、翻訳作業の手助けとなる辞書の使用行動は、主に原文理解に役立ち、両者間の相関関係が強く見られたと思われる。 一方、C⇒J のプロセスにおいて、起点言語は中国語(母語)で、目標言語は日本語(非母語)となるため、翻訳の難点が主に訳文の産出にある。そのため、訳文産出のフェーズでは、翻訳者の認知負荷はより高く、費やした時間もより多くなる。また、目標言語は起点言語より習熟度が低いため、翻訳者は、まず直訳的な訳出を暫定的に行うことが一般的であり、モニタリングにおける認知負荷も高くなるわけである。そこで、原文理解に比べて、辞書が主に訳文産出及びモニタリングに機能していると考えられる。
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6 結論
6.1 結論
辞書の使用は翻訳プロセスにおける重要なストラテジーの一つである。本実験は、発話思考法と再生刺激法により、CATTI 試験の日本語「翻訳実務」の翻訳課題における、日本語学習者の辞書使用行動及び訳文の「質」との相関関係を調査してきた。調査協力者は日本語プレースメントテスト SPOT の得点が 80~90 点の 30 人であるが、翻訳プロセスにおける辞書使用の有無により、各 15 人の実験組と対照組に分けた。本実験は日本語から中国語へ(以下は J⇒C)、中国語から日本語へ(以下は C⇒J)の二つの翻訳作業に構成されている。
辞書使用行動は、「使用回数」「使用目的」と「使用効果」の三つの視点からデータを収集し、J⇒C と C⇒J の翻訳プロセスにわけ比較を行った。そのうち、「使用回数」は「有効使用回数」と「無効使用回数」に分け、「使用目的」は「訳語」「表記」「文法」「コロケーション」「情報確認」「類義語・反対語」「再確認」の七つとなる。「使用効果」は、訳文の「質」とも言え、CATTI 試験の審査員 3 名により採点された。調査結果は以下の通りである。
1. J⇒C の翻訳プロセスにおいて、辞書使用行動は、翻訳プロセスに以下のような影響が見られた。辞書使用の「有効回数」と「無効回数」がほぼ同じであり、有意差が見られなかったが、「名詞」と「動詞」の検索頻度が最も高かった。そして、「使用目的」は、「訳語」と「情報確認」がよく見られる行動である。ただ、辞書の使用回数と訳文の「質」の間は、有意な相関関係がなかった。
2. C⇒J の翻訳プロセスにおいて、辞書使用の効率がより高く、「有効回数」が「無効回数」と比べ明らかに多かった。その中、「名詞」と「成語」の検索頻度が一番高かったが、辞書使用の目的は、主に「訳語」検索にある。統計のデータから言えば、辞書使用の「有効回数」は、訳文の「質」との間は、有意な相関関係が強く見られた。
3. 辞書使用行動は J⇒C と C⇒J の翻訳プロセスにおいて、訳文の「質」に異なる影響をもたらした。J⇒C の場合、辞書の使用回数と訳文の「質」の間では、有意な相関関係がなかった。辞書の使用目的は、主に既知知識の再確認にあり、訳文の「質」の向上につなげることが出来なかったようである。そして、C⇒J の場合は未知の語彙などの検索が主な使用目的となるため、辞書使用の行動は、訳文の「質」に深く関連することになった。即ち、辞書の使用回数が増えることにつれ、訳文の得点が高くなる傾向がうかがえる。
参考文献(略)