第1章 禅の概要
1.1 禅の起源と発展
禅は大乗仏教①の一派で、禅の思想は大体大乗仏教と同じであり、禅宗とも呼ばれる。または坐禅の略としての意もある。約 2500 年前、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは至高の三昧の境地において覚者としての自覚を得たとされる。このため、仏教の基礎的な修道論である三学「戒、定、慧」の定は即ち禅定とされている。漢訳仏典の「禅」または「禅定」はパーリの jhàna およびサンスクリットの dhyana の音写から来ており、精神を統一する修行法、あるいはその行法によって得られる心理的な状態を指している。禅定に関する最も伝われる解釈は次のように述べている。「外离相即禅,内不乱即定。外禅内定,是为禅定。」②。即ち対外的には、世の中の生死の諸相に心を動かさないのが禅であり、対内では、少しも混乱しなければ本当の定でもある。本来「禅」という語は特定の流派でのみ使用された跡形ではなくて、仏教全体の遺産の一つとされたものである。しかし、段々禅宗や流派が分かれる名目として発展してくる。記録によれば、中国では、唐代以降はこの行法を中心としている。
この他、法系による禅定の分類を詳しく分ければいろいろがある。仏法無辺、禅定無量、八万四千法門などは全て定に帰す。故に、その分類はまちまちである。立場、角度及び対象、対境などは千差万別で、分類も重なるものになった。 経論によれば、それぞれに重点は異なる。それを大きく分類すれば、仏教類と非仏教類と挙げられる。仏教禅にはまた如来禅、祖師禅と秘密禅などの三つの分類がある。非仏教禅も凡夫禅、ヨガ禅、外教禅、外道禅が分かれている。本論文では、観想を主体とし、以心伝心の祖師禅に関する禅を論じた。
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1.2 禅の精神
禅宗は文字を立てず、教外別伝を主張し、実践躬行しながら自性を知る直感を通じて永遠の仏性を悟ることを提唱する。禅は一種の境界であり、一見筋の通じない会話のように見えるが、実際に人生の経験と聡明な悟りが潜んでいる。この悟りは口に出せば完全に意味がなくなってしまった。その後、ただその意味を理解し、一人で静かに吟味するだけである。禅宗哲学は本質的に生命哲学であり、美意識と血が通ずるものである
それで、禅宗の出現により、禅の美意識が誕生された。先ほど述べたその思想は芸術審美の特性と法則を掲示することに対して非常に啓発的な意義がある。禅宗は人為的な美意識を否定し、外的な表面的な感観の楽しい美に反対することに対して、内在的、本質的、精神的な美を主張する。生き生きしている人間の本性、現実で生きた人の命を最高の地位に置く禅の美意識は生命の審美であり、一種の体験の審美観でもある。禅宗の美意識は平淡の境地を追求し、現象の世界から離れることに反対し、限りなく超越する本体を追求することを捨て、現実の自然の中から自性を悟り、平淡の美を求めることを主張する。 禅は、人と景色を合一することにこだわり、自分の隠れと低調で宇宙の万物に融合した上で、永遠の調和を達成するのを目指す。一服の茶、もしくは一巻の竹簡さえ、調和の静かな環境の中で恒久的な禅も達することができる。虚実と有無で構成された矛盾統一の構造は、鑑賞者に広い想像空間を提供する。したがって、味わいの尽きない意識体験を生み出したのはいわゆる禅の境というものであろう。
禅の境地は、まず一種の境である。それは会得するしかないという伝心の中で、人に畏敬を感じさせ、思わず知らず静かになって、いくつかの問題を考え始めるのである。同時に、禅の境地は悟という精神活動によって得られるものであり、流水のように無造作で、永遠に続けているものでもある。景物の具体的な、鮮明なイメージを見る人の心の共感を誘発し、外物に絆されない自由を感じさせるのは、禅というものである。かすかな朝の光の中で、上昇する煙のような隠微な変化を持つものは、計り知れない奥深さを含んでいると言えよう。そこで、独特の「神秘自在、秘匿隠遁」の趣を持っている。
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第2章 茶道の概要
2.1 茶の起源
実は、茶樹の原産地やいつ頃お茶が飲まれ始めたのかについては、さまざまな説があったが、今まで結論が出ていない。しかし、前世紀に中国では二本の茶樹が発見された、そしてその樹齢はそれぞれ 2700 年と 2750 年と認定された。しかも、それは今まで世界において知られるうちで、もっとも樹齢の長い野生の茶樹である。それなのに、その前にも茶樹が存在していた可能性もあるはずである。①その事実から、少なくとも 2700 年前に、茶葉の飲用もしくは食する行いが存在したのではないかと推測できると思われる。
地質的な考察から見ると、少なくとも 3 千万年前の第三紀中新世時代には、長江中下流の南部や雲南東部などの地域にツバキ科植物が出現していたことが分かった。植物学者が深く考察した後、中国東部地区はまさに茶樹の起源中心であると考えられた。その後、貴州晴隆県で発見された第三紀の四球茶樹種によく似た種子化石は、ある程度でこの観点を証明した。もちろん、これらの証拠は茶樹というものが数百万年ないし数千万年前に出現したことを証明することしかできないが、同様に人間は茶樹を主体的に利用する上で、その点から探ることができる。2001 年に発掘された杭州蕭山湖橋遺跡では、目下一番早い茶樹の種が発見された。それは今から少なくとも八千年の歴史があって、雲南で最初に知られている野生大茶樹よりも五千年以上早いと証明した。
また、歴史の文献の記録によれば、漢文書籍に現れる「茶」についての表現は「荼」が数多く使用され、たまには「茗」も使われていた。唐代の中期ごろに、「茶聖」と呼ばれる陸羽の『茶経』も世に問った。「自秦人取蜀后始有饮茗之事。」①これは明末清初の顧炎武が 『日知録』巻七の中にこう述べている。これらの歴史の事実に基づいたうえで、国際学術界での数十年にわたる研究論争を経て、中国は世界においてお茶文化の故郷だということが合意された。
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2.2 茶道の伝入と発展
最初に日本では茶道という言葉はなかったが、茶湯と呼ばれた。茶の湯という言葉が使われるようになったのは、15 世紀半ば頃からと言われている。それまでは茶湯という用語が用いられていた。16 世紀に入ると茶の湯が庶民にひろまり、中国的な名称の茶湯という言葉は次第に使われなくなった。江戸時代初期になると、茶の湯は場所や道具よりも精神性が重視されるようになり、単なる遊興や儀式、作法でしかなかった茶の湯が、わびという精神を持った道に発展し、「茶道(さどう)」と呼ばれるようになった。このように中国から伝えられた茶の風習は、日本で独自の発展を遂げ、日本の風土や日本人の心情に合った伝統文化としての茶道となった。簡単に言えば、抹茶と季節に合わせて厳選されたお菓子、茶碗、掛け物、花入れなどの取り合わせと会話を楽しむのが日本の茶道である。茶道は正称で、茶の湯は雅称ないし愛称とされ、両者が併用されて今日に至っている。最近では茶道は稽古すなわち修行に、茶の湯はもてなしに重きをおいた表現として用いられている。
現在も続いた茶道を確立させたのは、千利休であるのは周知のことだと思うが、日本に初めてお茶が伝わってから、現在の茶道に至るまでの歴史を細かく紐解いてみよう。
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第 3 章 日本茶道における禅の精神...................................... 29
3.1 茶道と禅...................................................... 29
3.2 茶道における禅の精神.......................................... 31
まとめ.................................................. 38
結論 ....................................... 39
第3章 日本茶道における禅の精神
3.1 茶道と禅
禅は虚無的な抽象的なものではなく、周りの具体的な物事に現れた一種の発現である。日本茶道は「和敬清寂」のことばにあらわれるように禅との関係が深い。両者とも日本文化に意義深い影響があると思われる。前述に述べた通り、中国は世界において茶文化の故郷であり、茶の発祥地でもある。唐代の陸羽の「茶経」は中国の茶文化史上のマイルストーンともいえる。学者たちの最新の研究によると、中国の茶道は唐代で創業されて、儒釈道三者を融合して、日本は南宋時代に中国の茶道を導入したということだが、次第に中国の茶道の中で養生長寿という観念を捨てて、段々禅を修する課業になった。そして、高尚な情操を育成する契機と方法の一つとして発展した。
しかも、その規則は中国の茶道より繁雑になった。近代になると、中国で茶を飲用する時に茶道に注意するところが少なくなってきたに対して、日本の茶道は禅の精神を一貫して保存している。思うに、これまで受け継がれてきた禅を離れては、日本茶道にはならないだろう。
そのゆえ、茶道は禅の修行方法の一つであり、禅の続けでもある。即ち「茶禅一味」ということである。茶道のコアは「禅を悟る」にあり、つまり禅を修めることを通じて、雑念を去って、功利にこだわらず、本心に戻って、自我を実現することになる。そのため、心の純化が茶道という芸術の中で完成され、これこそ茶道の真髄だと本人はこう考えている。
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結論
本論文は、日本茶道と禅のリレーションシップに基づいた論述を通じて、茶道における禅の精神の解明を試みていた。禅の概要、茶道の概要、日本茶道における禅の精神などの三つの方面から、茶道と禅の関係について検討してみた。各章の要点をまとめてみれば、以下のように結論が得られる。
1、禅宗の歴史、精神と美意識
達磨から始まった禅宗は 12 世紀の終わりには日本において確立される。日本の禅宗は栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗、隠元隆琦が伝えた黄檗宗の三派に分かれている。しかし、それらの目的は同じである。それは本来の自分と出会って、無の境地を追求して、人々の心が清められるというものである。禅の精神によって生み出された美意識は、大自然との調和を堅持し、内在的な本質的な精神的な美を主張し、平淡の境地を求める。さらに、日本の特有なわびさびの審美観により、枯淡静寂の雰囲気を作って、人々は多忙な生活から離れて落ち着くことができ、心を癒せる。
2、日本茶道の起源、発展と影響
最初、中国で茶は薬用として用いられたが、遂に日常の嗜好品として飲用されるようになった。鎌倉時代中期に栄西をはじめとして僧侶たちの努力によって、大陸の茶文化が日本全土へ広がって定着し、さらに茶道が生まれた。戦乱の絶なかった室町時代に村田珠光、武野紹鴎、千利休に至り日本の茶道が大成した。禅の精神と茶の飲み方を結び合わせて生まれた四畳半の侘び茶は、人々の精神の避難所になって、心を慰めた。明治維新以来、茶道には文化的な意味が強くなり、時代の変遷とともに自国の特徴を持って、世界に伝わった。特に、日本の茶道精神は日本人ないし世人に生活理念と精神修養の育成へそれぞれの影響をもたらす。
参考文献(略)