第一章 「ムラ」を中心とした集団生活の発生
唯物論(materialism)
に従えば、集団意識は集団生活から生まれる。会社、学校が現代社会の集団のモデルであるが、昔はその集団のモデルがムラであった。周知のように日本は農耕社会であり、稲作文化に属する。本章では、稲作農耕とムラの形成を分析し、ムラにおける多様な下層組織を考察して、集団意識が生じた歴史的土壌を明らかにする。
第一節 稲作農耕とムラの形成
旧石器時代
日本列島の人々は、まだ一定の場所に住居を定めて暮らしていなかった。食べ物を探すために、よく家族を単位として移動する。「岩宿遺跡」により日本は旧石器時代と縄文時代に区別されている。縄文時代は旧石器時代に続く時代である。縄文時代人は、「竪穴住居」で生活し、
自然物採集を中心に生きていた。その頃の遺跡から、マグロ、鯨、猪、栗などを食べていたことがわかる。その様にして、縄文時代人は自然の食物連鎖の中で暮らしていた。
弥生時代
米作りの技術が大陸から伝えられ、稲作農耕は始まった。米が食生活の基盤となった。移住生活が終わり、水田の周りに定住生活が始まった。かくて生業活動の中心は狩猟から稲作農耕へと変化した。稲作農耕に必要な太陽と水への信仰も育まれた。こうして単に食生活の変化ではなく、定住生活、階級分化、民衆信仰など様々な面での変化をもたらした。これは日本歴史上の重要な変革である。稲作農耕が弥生時代の特徴の一つである。かつて日本は、豊葦原の瑞穂国と呼ばれた。
瑞穂は、みずみずしい稲の穂を意味する。この言語表現にも、稲作の大切さを見ることができる。稲作農耕によって人々が土地に緊縛されてい
る。獲物を探して移動していた人々は、もう農地を離れない。人々は、固定的な場所に住居を定めて暮らすようになった。その結果、部落としての「ムラ」が発生した。............
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第二章 「ムラ」における集団の一体感
前章で稲作農耕による生活の変革、ムラの形成、及びムラにおける多様な下層組織を考察した。それでは、村人がどの様な行動様式をとるのか、村人の集団一体感がどの様に生まれたのか、という問題を解明するのは、本章の論じる重点である。
第一節 「ウチ」と「ソト」
1、ソトに対して閉鎖的、内向的
ムラは道切りによって、ソトと分けられている地域社会である。道切りとは、悪霊の侵入を防ぐために、村境に注連を張ることである。これにより、村には一定の地域がなくてはならない。村の境は入口にあたる。原田敏明によると、その多くの入口のうちでも、特に重視されたのは、それによって外と相通じ相対抗するような入口が特に重要なものということになる。かくて村には必ずといってよい程に一ヶ所の入口があり、かつそれが村の集団生活には第一の、場合によっては唯一とさえ意識され、その場所が村においても特別の場所とされる。すなわち、村の境はそれによって、ソトに対して区別をつけるところである。
然しながら、村境は単に地図上の境界ではなく、宗教的な意味をも持っている。境の内が神聖な場所で、村の鎮守がその土地を守る。また静岡、長野あたりでは、境に民間信仰の道祖神が立てられる。道祖神は邪霊の侵入を防ぎ、行路の安全を守る。一方、村内に対して、境の外は、一般に不浄なところと思われる。
悪霊や疫病神などがその地域に住んでいると考えられる。その為、前述した注連縄を張る風俗が生まれた。然もムラは自らの境界に神を祀る。その神は境界の神であると同時に、部落の神でもある。また対立する隣の部落に対して、そこに塔碑などが設けられる。その様に、村人はムラの境界を強く意識する。
かくて村境のソトはウチに対して対抗するもの、禍を及ぼすものという関係におかれている。同時に、閉鎖的で内向的な地域社会が構築される。自己が属する領域を「ウチ」と、その領域外を「ソト」とされる。その結果、「ウチ」と「ソト」の間に溝ができる。通常、同じムラに属するものが身内とされ、親しい態度をとる。相手がよそ者ならば、通常冷たい態度をとる。....................
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第三章 「ムラ」における集団の和................................................................................20
第一節 ムラの意思決定と和の尊重................................................................................20
第二節 集団リンチとしての村八分と和の維持.................................................................22
第四章 「ムラ」の集団意識が現代社会に与える影響...................................................26
第一節 日本企業への影響について...............................................................................26
第二節 日本人の行動様式への影響について.................................................................28
第三節 ムラの視点から社会問題の分析........................................................................30
结语
本稿は、「ムラ」を中心に日本人の集団意識を具体的に考察した。第一章では、稲作農耕によるムラの発生及び多様な集団組織を考察し、集団意識が発生した土壌を論じた。第二章と第三章では、ムラにおける集団意識の特質を分析し、共同体生活における村人の行動様式を解明した。また第四章では、ムラの集団意識が現代日本社会への影響を明らかにした。本稿の内容をまとめると、次のことがわかった。
(1) 稲作農耕は、日本人の集団意識の形成に大きな影響を与える。農作業を行う場合、ムラの全体は相互に協力する必要がある。こうして、村人は強く結びついていると同時に、仲間意識と同類意識が育まれる。一方、村落共同体において多種多様なクミがある。具体的な集団形態としての色々なクミは、村落生活の主な場となる。その組織は地縁的なものであり、そして加入脱退の任意性がない。各構成員は所属組織の規則に従って行動をとる。その様にして、村人は村落共同体にきつく縛られて生活を営んでいる。........