日语语言学论文:さようならから見る 独特な日本語由硕士毕业论文中心,硕士论文组整理提供,本文阐述了さようならから見る 独特な日本語
在日语中“さようなら”虽然是一句很古老的寒暄语,但是在现如今的生活中也还是比较常见的。和其他语言一样“さようなら”的使用同样具有严格的规则,所以随意的使用有可能导致误解。而且,随着日本人生活方式的不断变化词语的应用也在悄然改变,“さようなら”在不同的语境也被赋予了很多更新的含义。我们究竟该怎样恰当的掌握呢?本文就是在前人研究的基础上更进一步的说明这些问题的,而且还讨论了“さようなら”的这些问题与独特日本语的关系。
さようならから見る 独特な日本語
日本語で「さようなら」は古い挨拶だと言われるが、日常の生活でよく見つかられる、でも、ほかの言葉のように厳しい規則もあるので、勝手に使うと誤解を招くおそれがある。そして、日本人の生活方式の変化にしたがって、たくさんの言葉の使い方もひっそり変わる。では、いったいどうすればいいか、こちらの問題について日本語の独特性とどんな関係があるか、したの文は詳解だ。
キーワード:さようならの源流;ほかの別れる言葉;「和」の精神
1.はじめに
皆さんの知っているように、日本語は厳しい使うル—ルがある言語である。どんな言語にせよ、使われる時に聞き手、話し手の身分と会話の場合を考えて使わなければならないと思うが、日本語のようにそんなに詳しく使い分けるものはあまり見えないだろう。この情况の原因は日本人の独特な性格と独特な民族文化に離されないかもしれない。そして、日本は礼儀をとても大切にする民族で日常の挨拶も複雑で難しいと聞いた。
例えば、中国語の「再見」という言葉は上下関係などを問わず別れる場合だけで遠慮しなくてどう使ってもいい。しかし、日本語の別れる言葉はもっと複雑で、種類も多く、注意しなければ会話の本意が挨拶のせいだけで変われるおそれがあるだろう。
そして、私たちは日本語を勉強している時、よく翻訳の辞典、教科書などを参考する。例えば:『日漢辞典』と『新日漢辞典』に日本語の「さようなら」をよく簡単に中国語の「再見」と翻訳している、これが違うと言えないが、そんな簡単、粗略にして誤解を招くおそれがあると思う。だから、日本語を勉強している大部分の外国人はよく「さようなら」を「再見」として使って、いつものおしゃべり3166までと言う。この現状について「さようなら」の問題を皆さんと一緒に検討しよう。
2.さようならの語源
まず、「さようなら」の語源について分析しよう。『広辞苑』は日本に権威がある著書で、その中に「さようなら」についての直接な説明がまだなかった。「さよう/左様」ということだけと説明して、「そのとおり、そのよう」の意味だと書いてある。それから「さよう+なら」の説明である。「さよう+なら」の意味は「それならば」の意で、別れの挨拶語と説明される。だから、「さようなら」という言葉は「さよう」と「なら」の二部分からなれたことと分かる。
また、「さよう」の漢字は「然様」或いは「左様」で書いて、「なら」は「だ」の仮定型で、「なら」の後はよく「ば」を接続されるので、「さようなら」の最初の意味は「それならば、それでは」と大体同じ意味だと言われることもあった。
古代の日本人は別れる時よく「さようならば、これでおいとまいたします」、「さようならば、これで失礼をしましょう」或いは「さようならば、これでお別れをしましょう」などと言う。しかし、この言い方が長過ぎるので、後の部分を省いて、今までだんだん「ば」の部分も省いてしまった。このように「さようなら」は「再見」の意味を備えられる。なぜ後の部分を省くかというと、長過ぎだけではなく、もっとも重要なことに、他人の精神に負担や圧力などをもたらしたくないためだから。別れる時になり、別れしたくないが、分かれなければならないという気持ちがずっと両方の心を苛め、大変苦しいであろう。もし、この時「お別れしましょう」と言うと、両方の悲しみを強めるかもしれない。そんな悲惨な情景は、日本人にとっては、一番つまらないことだと思われる。碇真嗣先生は「今度お別れる時さようならを言わないでください、それは悲しみ過ぎることだから」と言ったことがある。徐志摩先生も『さようなら---日本の女郎に』という詩を作りました。徐先生は若い時タゴールと一緒に日本へ留学に行った。帰国の時日本をまだ名残りを惜んで、この短い詩を通して、自分の日本にいたことに未練を残す深い気持ちを表したいのである。詩の中で描写した日本女性はとてもやさしく綺麗である。日本のうつくしさを代表すると思う。日本の人と物などを離されがたい気持ちがこの「さようなら」によって、心のつらさを断ち切たいのであったろう。徐先生の詩から見ると「さようなら」という挨拶は永遠の別れと極度に悲しむ感情が含んでいる言葉だと分かる。だから、日常の挨拶にはあまり使わない。例えば、戦争時代の「玉粋部隊」の公文の中でこの「さようなら」を禁用と規定だそうだ。でも、遺言書の末にこの言葉をよく使う。
3.さようならの使用
3.1 使用の場合
『外国人ための基本語用例辞典』の説明によると、「さようなら」は仲間の人びととは別れる時の挨拶で、中国語の「再見」と同じ意味だと分かる。でも、日本の実際の社会に「さようなら」をどう使うか、どんな場合で「さようなら」を使ってもかまわないか。今「さようなら」が大きく発展したにもかかわらず、最初の意味と使い方はまだ現代人の心理に影響している。「さようなら」はどのような場合に使えられるか?いくつかの例をあげよう。
1、やっぱり私たちの歩くべき道は別のものでした。わがままをゆるしてください、さようなら。
2、さようなら、どうぞお幸せにお暮らしくださいませ。今は涙のうちにただそれのみをお祈り申しあげております。
3、私、もう恋愛なんかに何の価値も見出すことのできない女になってしまいました。でも、ここまで私の心を追いやってくださったあなたはやっぱり出方でした。最後そう一言言わせていただいて、これでさようならを申しあげます。
4、二年間の生活、人生のうちで大きな回り道だったと思えば、その月日に感謝しなければなるませんね。さようなら。
5、さようなら、ごめんなさい。パパ、ママへ。
そのほか、多くの男女の別れを表す歌の中でもよく「さようなら」を使う。
例えば
さようならだけを言わないで
もうさようならですか。もうお別れですね
さようならをいう前に抱いてください
上の例から見ると、「さようなら」という言葉は主に恋人が別れる時によく使われ、恋愛の関係を断絶したい時に言う挨拶だと分かった。日本人は決してどんな場合でも「さようなら」を使うことはない。
日本語の「さようなら」は具体にどう使うか、次のように使う
1、別れしたくなくても別れざるをえなかった悲しみを表す場合で使用して、深く残念な心情も含んでいる。よく恋人間に使う。
2、同僚や友人などと別れ後また会えない場合で或いは再会の時が分からない場合で「さようなら」と言う。例えば、退任か帰国の時など。
3、永遠の別れ、再び会えない場合で使う。例えば、遺言書。
4、完了を表す。例えば:テレビとラジオは番組が終わる時よく「皆さん、さようなら」と言う。
5、何かに遠ざりたい気持ちを表す場合で「さようなら」を使う。例えば:こんな嫌いな仕事は速くさようならがしたい。
上の文から、「さようなら」という言葉はある特定の場合で特定の人に使われる挨拶だと分かった。もし日本人が「さようなら」をあまり使わない場合で私たちはしきりに「さようなら」を言い、聞き手の日本人はぜひ可笑しいと感じるだろう。相手の気持ちを取り違えるかもしれない。
3.2 使えない場合
1、家庭メンバーの間では「さようなら」をあまり使わない。出掛ける人はよく「いってまいります」、「いってきます」などと言い、家にいる人は「いっていらっしゃい」と答える。もし、主人が出掛ける時「さようなら」を言うと、離婚したい意味だと妻が理解すべきである。もし主人が仕事に出掛けて、彼はいつも「じゃあ、また、いってくれる」などと言うだけでもいい。
2、先輩と別れる時、「さようなら」を使わない。特に正式、厳粛な場合で教養がある人はよく「失礼いたします」と言う。そして、会社でも「さようなら」をよく使う社員が咎められることがすくなくなさそうだ。
3、非家庭メンバーの間に「さようなら」を使わない場合もある、一般的に「あしたまた」、「では、また」などをよく使われる。なぜかというと、「さようなら」はまた会えない意味があるからである。そう使うと相手の誤解を招きやすいだろう。
例えば、ホテルの店員は客様が出る時「さようなら」と言うなら、店員はどんなに親切でも、客様の気持ちがよくならないだろう。客様はきっと心の中に「なぜかそんな言葉を言ってくれる?自分がいやか?どこに違うか? 」と疑うだろう。このホテルへまだ泊る気持ちがなくなると思う。代わりに、日本のホテル店員はよく「いっていらっしゃい」と言い、客様は自分の家にいるように温かくて思わずに「いってまいります」と答える。
4.他の言い方
ここまで「さようなら」の語源、発展と使い方を紹介したが、実は、ほかの別れる挨拶言葉がたくさんある。「さようなら」が複雑であるから、次の言い方はより優勢がある。
1、さようならのことをはぶく。
2、「ではまた」、「じゃこれで」、「じゃここで」はよく知合いの間で使われる挨拶だ。同じ事務室の同僚たちが一日の仕事が終る時にも使う。
3、「ではこれで失礼いたします」、「ごめんくださいませ」は上級、先輩などのところへ訪問して、別れる時によく使って、丁寧な挨拶だと言われる。
4、「どうもお邪魔しました」は訪問が終る時に使って、主人が「何のお構いもできませんでした」、「何のおもてなしもいたしませんでした」などを答えてもいい。「何のお役にも立ちませんでした」という言い方もある。
5、「おやすみなさい」は ア、夜、電話を切る時に使って、女性はよく「おやすみなさいませ」を使う。イ、夜、寝る前に言う挨拶で、子供は大人に「おやすみなさい」と言い、大人は「おやすみ」だけでいい。
6、「どうぞくれぐれもお大事に」、「どうぞお達者で」、「どうぞお元気で、道中ご無事で」、「道中どうぞお気をつけになって」、「どうぞ気を付けてください」また「おめにかかりましょう」は駅や空港などで見送る場合或いは伝職するか定年になる時に言う言葉だと言われる。見送られる方が「わざわざ見送りいただいて恐れ入ります」、「どうもいろいろとお世話になりました」などと答えていいと思う。
7、「どうぞお大事に」、「お大事に」は患者を見舞う時、医者がそうに言ったら、患者が「どうもありがとうございました」と答えていい。
5. さようならと「和」
「さようなら」という言葉は長い歴史があって、重要な地位を持っています。なぜ日常の生活の中で「さようなら」をあまり使わないのか。これは日本の「和」の精神に決められるからと思う。
日本は礼儀を大切にする民族だと世界中に知っている。仕草といい、言葉といい、日本人はいつも他人の立場に立って自分行動を取る。これは「和」の精神の一つだと思う。
例えば、他人から貴重な物をもらって、日本人は寝つけないほど心配して、どうにかしてチャンスを見つけてこの恩を返しなければならない。日本人は自分がしたくないことはほかの人にもさせたくないという理論を信じている。
別れる時にも日本人は相手の気持ちを考えて、この時本来悲しい意境にいる。もし「さようなら」と言うと、他人がもっと寂しくなるかもしれないと思う。そして、一般的の別れ、そんな悲しい言葉を使う必要がないから日本人は別れる時「さようなら」をあまり言わない。
6.終りに
以上の論述から、「さようなら」の語源、発展、使い方を大体分かるだろう。「さようなら」は使い方に複雑さがあるだけでなく社会から多種の文化に深く影響されているので、特定の場合だけで使う。そして厳しい規則がある。
日本語の中で「さようなら」を代わりに、ほかの別れる言い方がたくさんある。そして、これらの言い方がもっとすばしこい、誤解を招くことないとよく分かる。
このような表現方式は日本人の言語の心理が現れました。「和」の精神は大和民族の真髄だと思われる。そして、この独特な性格と民族文化がところどこるに詳しく徹底的に表現された。日本人も「和」の精神に影響されている。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動する時日本人は相手の気持ちや立場を考慮しようとする。また、相手に対しても同様の言動を期待する。従って、日本人は自分の意見や行動を決める時、他人はどう考えるだろうか、自分の言葉は相手にどう思われるだろかなどを気にしたり、それに受けたりすることが多くなりがちである。
今の世界は科学技術の発展にっよて村のようになって、各国間の交流がもっとも頻繁になった。中国と日本は隣国で、お互いに交流が地域でもっと密接である。でも、私達は日本人の独特な性格と民族文化を考えて交流をすればこそ、日本人の語言心理をマスターできて関係も更に打ち解けることができます。
さようならから見る 独特な日本語
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