关于日汉语中状况可能表达形式的语义和用法的对比分析

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论文字数:**** 论文编号:lw202321858 日期:2023-07-20 来源:论文网
本文是一篇语言学职称论文,本文简单地触及了日语中承担状况可能意义的形式特征。可能动词和助动词“れ•れる”广泛用于表示“属性可能”和“条件可能”的句子,但是助动词也有被动态的意思,所以在以事物为对象进行评价的属性可能表达中常见。“能做某事”一般是表示客观条件可能的结论。简单总结了在中文中承担可能情况意义的记号的分布。“能”表示“内能条件”的主观可能表现和“外在条件”的客观可能表现。“可以”的“许可”用法很明显。一般表示“客观的条件可能”的意思。


第 1 章 先行研究と本研究の立場

1.1 日本語における可能表現に関する研究
日本語教育事典(1982:199)で、可能の表現とは、「そうすることができるという意を表す時用いる表現」と述べている。
日本語における可能表現の概念と分類に関する研究は、主に松下大三郎(1930)、山田孝雄(1936)、森田良行(1977)、寺村秀夫(1982)、渋谷勝己(1986)(1993)、益岡・田窪(1992)、高橋(2005:113)などが価値ある論文を書いている。それぞれの研究は以下のようにまとめられる。
松下(1930:161)は初めて可能を被動の一種として認定し、可能の表現は、「可能の被動」と「価値の被動」と名付けている。松下(1930)は、
(6)そんな難しい字が小さい子供に覚えられますか。(松下 1930)(可能の被動)
(7)この酒は一寸飲める。(松下 1930)(価値の被動)という用例を挙げている。これは被動を用いて人の能力あるいは人とものの価値を表す表現である。松下(1930)の研究から、「可能態」はヴォイスの一種として認められるようになった。
山田(1936)は「る」「らる」は「自然勢より再転して文の主体にある能力の存する義を表すなり」と述べている。「る」「らる」は能力を表すことを初めて唱えた。
森田(1977)は可能表現の意味を詳しく分類している。森田(1977)によると、可能表現は「能力賦与」と「困難な事態の実現、許容」という二つの類型に分けられる。また、森田(1977)では、可能の実現に関するパターンを五つ分けている。それぞれの例は以下のようである。
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1.2 中国語における可能表現に関する研究
中国語における可能という意味を表す形式は、「能願動詞」と呼ばれることがあれば、「助動詞」と呼ばれることもある。本稿では「能願動詞」で呼ぶことにする。
丁樹声(1961:89-91)は助動詞を意味によって三つの種類に分け、以下の表 1 のようにまとめている。


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「能力にできるかどうか」ということはある動作を実現させる「能力」があるかどうかという意味を表し、「能力可能」のことである。しかも、ここでいう「能力」は、先天的な(生まれながら)能力や後天的な(訓練や努力によって持っているもの)能力に分けられていない。また②の「事実的には可能性があるかどうか」ということは、認識的モダリティーに属すので、本稿の範囲外としていることだ。最後に述べている「環境や情理に許可されるかどうか」というのは環境や情理という外在条件によってある動作が実現できるかどうかを表すので、本稿の研究対象にする。
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第 2 章 可能表現の認定について

2.1 可能表現の本質
言語は情報を伝えるために存在すると思われている。可能表現を用いるとき、どのような情報を伝えることができるかを考えれば、可能の本質に触れる。ここでは可能表現を構成する必須要素を明確にしていきたい。
日本語には、可能表現に対し、森田(1977)と寺村(1982)の定義は次の通りである。森田(1977):可能表現とは、動作・行為が主体の能力範囲内で、もしくは特別な情況下で実現することを表す言い方である。
寺村(1982):日本語の可能態というのは、「何をしようと思えば、その実現について妨げるものはない」という表現であるので、日本語の可能態をとることのできる動詞が、意志的な動作を表すもの(〔+意志〕)でなければならない。
森田(1977)は動作・行為の実現条件と実現結果に注目する。「特別な情況」は特別な手段や方法、道具、動機、情況などを指す。寺村(1982)は主体の意図と動詞の類型を強調している。抽象的にまとめてみると、可能の意味が成立するための必要的な条件は「主体の意図」・「条件の制限」・「事態の結果変化」という三つの場面を含んでいる。
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2.2 可能性と可能の違い
先行研究に対してもう一つ、興味深いことがある。それは可能の範囲の認定である。金子(1980)、渋谷(1986)などの学者たちは「認識の可能」が可能表現に取り入れるという見方を持っている。しかし、「認識の可能」は話し手が事態に対して自分の判断を出すことを表すもので、文法カテゴリーにはモダリティーに属すると思われる。そのため、本稿はこのような見方を認めない。すなわち、これは話し手の「推測」しか表さないのである。「可能性」を表す表現は主体がそうしようという意図を含まないままに述べているのが一般であるので、可能表現と認められない。次の例(17)はその裏付けである。
(17)如果第二次出境还要办理出境卡,国外学成者就有可能不归,怕万一不能再出境。(《一言难尽出国潮》刘成社)
この文での“可能”は、仮定の状況が発生する可能性があるという意味を表すが、ここでは主体の意志と関係なく、客観的な事情の可能性を述べているだけであるから、可能表現と認めない。つまり、「状況可能」は状況に提供される条件以外、主体の期待や動機付けを含まなければならない。その反面、主体の期待や動機付けを含まなければ、「可能性」という認識可能の方向へ揺れつつあるという恐れがある。
可能の本質は前節で明示されている。可能性と可能との文法意味をはっきり区別すると、文法体系を厳密化することができる。そのほか、外国語習得に対しても大きなメリットをもたらすこともできる。
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第 3 章 日本語における状況可能の概観................................13
3.1 状況可能の分類と意味特徴...................................... 13
3.1.1 属性可能................................................14
3.1.2 条件可能.......................................16
第 4 章 中国語における状況可能の概観....................................25
4.1 状況可能の分類と意味特徴........................................... 25
4.1.1 主客観条件によっての可能表現.....................................25
4.1.2 自発的可能表現................................................27
第 5 章 日本語と中国語における状況可能表現の対照分析.............................. 31
5.1 構文的特徴の対照分析.................................31
5.2 意味的特徴の対照分析..........................................31
5.3 形態的特徴の相違について.................................. 34

第 5 章 日本語と中国語における状況可能表現の対照分析

5.1 構文的特徴の対照分析
日本語における「可能」の意味を表す助動詞は動詞の語尾に現れ、「動詞+助動詞」あるいは「動詞+ことができる」のような形で表す一方、中国語には「能願動詞+動詞」という形で示す。例えば、
(79)我不能去。/私は行けない。(作例)
(80)这里可以抽烟。/ ここでは煙草を吸うことができる。(作例)
馬(1987:70)は、中国語と日本語における可能の意味を表す部分の構造は互いの鏡のようであると考えている。これは可能を表す両言語の構文的特徴の違いの一つと言える。次に、両言語における構文的な共起関係について説明する。中国語における能願動詞は互いに共起することができるが、状況可能の意味を表す形式が共起する場合は少ない。一方、日本語での「可能」を表すマーカーは共起することはあり得ない。
(81)同样,意志力可能可以暂时控制住结巴,但如果一时把持不住,则可能结巴得更厉害。(《哈佛管理培训系列全集》)
(82)“唉!毋来斯!哪能可以随便抽我咯血呢?血又不是水!不可以。” (《淡出》白桦)
(83)同时,它必须能够可以细分,这样一来,我们说能够充当有效货币的就不多了。(《聚焦金融革命》陈雨露 百家讲坛)
以上の三つの例は、すべて能願動詞が共起する表現である。例(81)は“可能可以”の形式で、「~できる可能性がある」「~ことができるかもしれない」という意味を表す。つまり、この例は可能の意味を重ねることではなく、「ある事態を発生する可能性がある」という推測の意味を示す。例(82)は疑問の形式で、「こんなことを許してはいけないじゃないか」という可能の意味を強く表現する効果が出てくる。“能可以”という組み合わせの中で、“能”は、主体の主観的な意向を表し、“可以”は客観的な許可の意味を表す。これは「内的能願条件」+「外在条件」の組み合わせである。最後の例(83)の中の“能够可以”は可能の意味を重ねるものであり、話し言葉で使われる例文である。それに対して、日本語には可能の形式は共起する表現が見られない。
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終章

6.1 まとめ
本研究は日本語と中国語における状況可能表現の分類・分布・意味特徴という三点について対照した。まとめてみると、以下の表 6 と表 7 のようになる。


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表 6 に示したように、日本語における状況可能の意味分類はまず「属性可能」、「条件可能」、「条件的属性可能」の三つに分けられる。さらに、意味論の視点から分析した結果、「属性可能」は「恒常的属性可能」と「評価的属性可能」に分けられる。例外として「参照的属性可能」を表す表現が見つかった。この表現は物事の本質を表すためではなく、ある場面の特徴をわかりやすくようにするためだけに用いられる。この点は先行研究では言及されていない。
日本語における条件可能表現は先行研究によれば、「内的条件可能」と「外的条件可能」に分けられている。その内、「内的条件可能」はさらに「心情条件」と「体調条件」に分けられ、どちらも主体自身の条件を表すので、事態の実現が他人に及ばないという意味特徴がある。それに対し、「外的条件可能」は一時的な状況下での「形勢条件」と恒常的な規則・法律・資格などの二つの「規則条件」を含んでいる。一方、中国語における状況可能はまず「主観的条件可能」と「客観的条件可能」に分け、「主観的条件可能」はさらに「心情条件」と「情理条件」に分けられる。「客観的条件可能」は「体調条件」、「形勢条件」、「規則条件」に分けられている。「主観的条件可能」は主体の主観的な認識や見方から事態に対して判断を出すことであるのに対し、「客観的条件可能」は動作・行為の実現は主体の意志や気持ちとった主観的な要素に関わらず、外在的・非常的な状況や社会的な規定という客観的な要素に影響される。
参考文献(略)
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